海外の製薬会社に「啓蒙」された日本の精神科医
「あなたは“うつ”ではありません」産業医の警告12
日本の精神医学界にDSMが本格的に普及する決定打となったのも、海外の製薬会社のマーケティング戦略でした。
GSK社は2000年10月に京都で有識者を招いて会議を開き、そこで話し合われた内容をもとに、同社のSSRI「パキシル」を売り込むためのマーケティング戦略を立てました。
会議に招かれたのは、欧米や日本の精神科医のオピニオンリーダーにあたる人々です。
この会議では「まだまだ日本ではうつ病の認知度が低い。一般のかかりつけ医にもほとんど知られていないため、現状はうつ病や不安を抱える人々のうち、ほんのひと握りしか適切な治療を受けられていない。もっとうつ病の認知と診断を支援していくべきだ」という結論がコンセンサス(一致した意見)として導き出されました。
これを製薬会社の主張に「翻訳」すると「日本でもうつ病に苦しむ人々がたくさん見逃されているはずだから、現在の診断基準〈従来型診断〉を見直して、SSRIで彼らを救ってあげるべきだ」といった内容になるかと思われます。
この京都会議のあと、GSK社のMR(医薬情報担当者)は、全国各地の精神科を週に2回のペースで訪問しました。そして、先のコンセンサスをもとに「DSMによるうつ病の早期発見、SSRIによる早期治療こそ、最新の世界標準の精神医療である」という認識を日本の精神科医の間に広めていきました。
やや乱暴な言い方をすると、海外の製薬会社が「世界的に偉い先生方が日本の精神医療は遅れていて不十分だと言っています。あなたは今まで通りの古臭い診療をやっていて大丈夫ですか」と日本の精神科医を「啓蒙」したわけです。
これにより、巷の精神科医は、診断の役に立たないと思っていたDSMを無視できなくなりました。
それどころか、DSMを用いずに従来の伝統的診断をしていると「あの先生は遅れている」と見なされる空気が日本の精神医学界につくられていったのです。
日本の精神医学界にDSMが浸透していった経緯は、まさに「黒船の襲来」です。
江戸時代の末期、日本は、黒船に象徴される圧倒的軍事力を背景に、アメリカと不平等条約を結ばされました。ある意味、価値観の押し付けです。その歴史をなぞるかのように、日本の精神医学界もDSMの価値観を押し付けられたと言えます。
本当の病気だけを治すという考え方は遅れている。これからの精神科は人生の悩みすべてに対応するべきだ――日本の精神医学界は、そんな考え方を何の検討もせず一方的に受け入れてしまったのです。その背景には「アメリカの偉い先生が言っているから間違いないだろう」という、今日に通じる対米追従主義があったのだと思われます。
(取り上げる事例は、個人を特定されないよう、実際の話を一部変更しています。もちろん、話を大げさにするなどの脚色は一切していません。また、事例に登場する人名はすべて仮名です。本記事は「あなたは“うつ”ではありません」を再構成しています)。
<次回は 本当に日本の精神医療は遅れていたのか? について紹介します>
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